”モノでありながら空洞である。”
やきもののそういうところが面白いと思っています。
やきものは極めて小さなものを例外として、中身は空洞です。目には見えなくとも、空洞はそれの一部であり、さらに私はやきものそのものが空洞(void)であるように認識してきました。制作するうえで、その内側(空洞)の存在を大切にしています。
あらゆるモノやコトといった存在は、内と外を含み、また内と外のみならず、相反する複数の要素を綜合しながら成りたっています。(例えば内と外、裏表、ともすればリアルとバーチャル、善と悪…等々。)
やきものはそれらを視覚的に体現している様に感じます。
そんなことを思いながら、私はこれといって用途の無い、”エンターテイメントとしてのやきもの”をつくっています。